「北茨城市の戦跡調査」に行って来ました。
2018年9月10日(金)
いばらきコープでは平和の取り組みを行っていますが、2015年に茨城県内の「戦跡・平和マップ」を更新しています。このマップをもとに、北茨城市の戦跡をめぐりました。
まず初めに訪れたのは、平潟港にある「特攻艇格納壕跡」です。平潟港には 爆弾を積載したモーターボート型の特攻艇「震洋」の基地もあり、隊員が訓練を行っていたようです。実際に出撃したことはなく、岩山にトンネルを掘って、特攻艇を隠していたようです。格納壕の跡らしきものがありました。格納庫の跡は大雨や地震などで崩れ、東日本大震災でさらに危険な状態になり、倒壊の恐れもありすべて塞がれたそうです。内部は見られませんでした。
太平洋戦争において、日本はジェット気流に風船爆弾を乗せてアメリカへと飛ばしました。他にも福島県の勿来・千葉県の一ノ宮で放球されましたが、放球台跡地が存在するのはここ五浦のみです。
県道354を隔てた場所に、「風船爆弾犠牲者鎮魂碑」がありました。爆発事故のため、風船爆弾攻撃の日に3名が戦死しました。
近くの五浦海岸には、「風船爆弾放流地跡 わすれじ平和の碑」が建っています。3つの基地から 約9300個を放球したうち、約1000個が本土に到達したようで、山火事やプルトニウム製造工場などに僅かな被害を与えたようです。オレゴン州には、6人の死亡者の記念碑が建っているそうです。
五浦の自然は今も私達の目を楽しませてくれますが、この地がかつて戦争の拠点になっていたとは思いもしませんでした。風船爆弾は、和紙をこんにゃく糊で張り合わせたもので、北茨城市歴史民族資料館(野口雨情記念館)に風船爆弾の模型が置いてあるそうですが、今は改修中で見学することはできませんでした。来年の3月まで工事はかかるそうなので、4月にまた行ってみたいと思っています。
◆今回見学した戦跡は、探すのが難しい場所もありました。旧大津町には18の放球台があったといわれますが、戦後は田や畑に戻され、跡が残るのは1箇所だけだそうです。風船爆弾や特攻の拠点があったことを、後世に残していきたいと思いました。
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コメント
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市内に住んでいますが行ったことがないところもありました。
市民祭りで磯原の駅で風船爆弾の模型や写真などが飾られていて、説明をしてくれる方がいて、初めて知りました!
説明を聞かないとわからないことがたくさんありますね。
投稿: くーまん | 2018年9月27日 (木) 19時55分
くーまんさん、コメントありがとうございました。🙇💕
市民祭りなどで模型が飾られるのですね。地域の方が引き継いでいって下さるといいですね😉✨
また、何か情報がありましたら、教えて下さい。🙇
投稿: つう | 2018年9月29日 (土) 15時04分
北茨城市は自然に恵まれ、六角堂、岡倉天心、野口雨情など芸術面でクローズアップされることはありますが戦争と結び付ける事はなく、あの美しい海から風船爆弾が飛ばされ戦争の拠点になっていたなど想像もつきませんでした。その惨劇を繰り返さないように後世に語り継がなくてはなりませんね。
投稿: オレンジ | 2018年10月 1日 (月) 10時53分
オレンジさん、コメントありがとうございます。🙇
北茨城市の海は、天心が愛したように美しいですね💕
残されている遺跡は、後世に語り継ぐために守ってあげたいと思いました。😉
投稿: つう | 2018年10月 1日 (月) 20時43分