「筑波海軍航空隊記念館」見学〜北西ブロック委員会
2015年11月11日(水)平和担当の磯部理事と、北西ブロック委員会7名で、笠間市にある「筑波海軍航空隊記念館」を見学してきました。
筑波海軍航空隊は、特攻の実行が初めて決められた地です。昭和9年に霞ヶ浦海軍航空隊友部分遣隊として開設され、昭和13年に筑波海軍航空隊と改称されました。多くの若者がこの地で訓練を行い、昭和20年太平洋戦争終結とともにその役割を終えました。映画「永遠の0」の物語の舞台となり、ロケも本物の基地を使って撮影されて、注目をあびました。

旧司令部庁舎は2階建てで、今は記念館として公開されています。入館料は、大人500円、小~高校生350円です。


記念館の1階には、零戦のちぎれた後部胴体など、戦争の傷跡が生々しい姿で展示されていました。70年の時を経て、実際にあったのだと訴えている気がしました。ビデオでは、生き残った方の証言がありましたが、「戦争は、勝った者も負けた者も、みな損をしている!」という言葉が印象的でした。戦争は物質的な損得だけでなく、肉体的にも、精神的にも痛みを伴うことを感じさせられました。
2階に行くと、初めにたくさんの戦艦の模型があり、日本の海軍の勢力の大きさを窺えました。
小さな部屋が何個かあり、当時の基地の様子などの写真、部隊の写真、出兵前の写真、家族へ宛てた手紙、遺品などが展示されていました。女学生と予備士官との手紙のやりとりのエピソードでは、コックピットのガラスで作ったペンダントが最後に届いたということでした。一度も会えず、200通もの手紙が行き来したということは、今の時代には考えられないことですが、切ない気持ちになりました。
また、亡くなってから結婚式をされた方、プロ野球選手だった方の写真もありました。出撃前に家族に宛てた手紙もあり、お国のため、家族のことを思って散って行った方達の思いが痛ましかったです。
最後の方に大きめの医務室があり、ベッドも当時のように置いてありました。

記念館の外には、今も号令台がありました。本当にここで多くの若者が訓練し、旅立って行ったのでしょう。

茨城のこの地だけが戦争の舞台になったわけではありませんが、戦争の悲惨さと愚かさを語り継ぐ為に、この記念日に沢山の方に来て欲しいと思いました。ブロックでも、今日の体験を委員さんを通じて、組合員さんに伝えていきたいと思います。
※ブロック委員の感想
・展示されている遺品や手紙、写真から、当時はどんな様子や心境だったのか、とてもよく伝わりました。20歳代前半の多くの若者が特攻で亡くなったと思うと、今の時代の若者と重ねて考えてしまいます。二度と戦争は繰り返してはいけないと強く感じました。
・零戦の後部胴体など、戦争の悲惨さが感じられました。二度と戦争を起こしてはいけないと改めて思いました。
・一度行ってみたいと思っていたので、見学できてよかったです。展示物も多かったので、もっとゆっくり見たかったです。写真の中のたくさんの若者が練習生として厳しい訓練をして、戦場へ行って何人も戦死したと思うと、胸が痛みます。今の平和を守り続けなければと思います。
・お国のために…という思いで特攻の任務を全うし戦時を懸命に生きてきたのでしょう。笑顔で写っている若い青年達の写真がとてもせつなく思いました。戦争が二度と起こらないように祈るばかりです。見学に来ていた方は年配の方ばかりだったなぁ~と感じました。(平日だったせいもあると思いますが……)悲惨だった戦争があったことを風化させない為にも、コープでの「平和の取り組み」がいかに大切かを実感した時間でもありました。今後も親子で戦争を考える企画を提案していけたら良いと思います。
・写真を見るだけでも、計り知れない強い意思、家族へ残す精一杯の思いやりの言葉、先に飛び立つ仲間へ向ける笑顔、自分が出発する時に仲間へ残す精一杯の笑顔、それら全てに隊員の物凄い強さを感じました。しかし、その強さの中に隠された悲しみを想うと、胸がつまりました。でも、写真の中には心から笑える時もあったとわかり、良かったです。
・特攻隊の方のアルバムが私はとても印象的でした。私はアルバムを特別なものとして思って見てしまいます。遺書として残す予定だっとだというアルバム、自分の生きてきた証を残すということは今も昔も変わらないんだなと思いました。
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